『快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』を読む -なぜ人は賭け麻雀に熱中するのか?
「人間にとって、快感はまっとうに得られるものではない。天から貸し出されるのだ。非常な高利で。」(ジョン・トライデン『オイディプス』)
目次をめくってすぐ、1ページ目に引用されたこの言葉を読んで、つい顔をしかめてしまった。身の回りに溢れる大半の快楽には代償が付き物だ。煙草を吸えば血管はボロボロになるし、カロリーを取りすぎれば脂肪がつく。ギャンブルに勝てば一時的に懐は温まるけれど、気付いたら収支はマイナス。ギャンブル好きの決まり文句「生涯収入は勝ってる」ほど、当てにならないものはない。
1.「快感回路」とは
”賭け麻雀”がにわかに世間で話題になる中で、ふと考えたことがある。
「なんで皆、そんなに賭け麻雀が好きなんだ?」
麻雀というゲームそのものが好きなのであれば、将棋や囲碁のようにノーレートで遊戯を行っても良いはずだ。何が人を賭け麻雀に熱狂させるのか?そんなことを考えていた折に、大学生時代に買ったまま通読していない文庫が目に入った。
『快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』(デイヴィッド・J・リンデン、河出書房)である。
1953年、カナダにあるマギル大学の研究で「快感回路」は発見されたという。
行った実験の内容をざっくりまとめると、下記のような感じ。
ラットの脳、中隔と呼ばれる部分に電極を差し込み、箱の中に閉じ込める。
箱の中には、レバーがあり、レバーを押すと電極を通じて中隔に刺激が与えられる。
実験内容を読んだだけで、大方の結果は想像に易しいんだけど、ラットは自分の脳を刺激するために、一時間に7,000回ものハイペースでレバーを押し続けた、と。
つまり、この刺激を与えられた部分が「快感回路」にあたるわけだ。
このラットの実験についての記述がなんというか、エグみがあって強く印象に残ったので、そのまま引用して紹介したい。
自分の脳を刺激しているオスは、近くに発情期のメスがいても無視したし、レバーにたどり着くまでに足に電気ショックを受ける場所があっても、そこを何度でも踏み越えてレバーのところまで行った。子どもを生んだばかりのメスのラットは、赤ん坊を放置してレバーを押し続けた。なかには他の活動を一切顧みず、一時間二〇〇〇回のペースで二四時間にわたって自己刺激を続けたラットもいた。(p.19-20)
これ、何か既視感があるなと思ったんだけど、中学生の時に受けた覚醒剤根絶の授業で聞いた、覚醒剤使用者の症状とほぼ一緒だ。本書を読み進めている内に、薬物の中毒性も脳の報酬回路(=快感回路)を破壊することによる、と書いてあって、やけに納得感があった。
ともかく、人間の脳には快感を司る部位があって、これは人が快感を感じるあらゆる場面で活性化するらしい。はじめに書いた、高カロリーの食べ物を摂取したときも、セックスをするときも、慈善活動をするときも、等しく活性化する(僕のすごく雑な理解で換言すると、ドーパミンが放出される)。脳にとっては、善徳とされるものも、悪徳とされるものも、快感という意味では等しいと考えると、ちょっと面白い。
2.不確実性の快感
ここまで来ればお察しの通り、ギャンブルでもこの快感回路は活性化する。
ギャンブルで発生する快感については、第5章「ギャンブル依存症」に詳しい。
ここでようやく本題で、人はどのようにしてギャンブルにはまっていくのだろうか。
よく言われるのは、友人に誘われて試しにやってみたギャンブルで大勝ちし、ずるずるとのめりこんでしまう、という説。ただこれは不完全な説のようで、人間の脳はもともとある種の「不確実性」に快感を見出すように出来ているらしい。
ラットの実験に続いて、この不確実性についての実験も面白かったので紹介したい。
今度はケンブリッジ大学での実験で、対象は猿。ラット同様に脳に電極を埋め込んで活動を記録する。実験内容は、モニターに3種類の光(赤、緑、青)を表示し、表示された色によってシロップ(=報酬)が与えられる。
報酬が与えられる条件は下記の通り。
緑:報酬あり(100%)
赤:報酬なし(0%)
青:報酬あり/なし(50%)
何色が表示されたときに、快感の度合いが最も強いかという話なんだけど、報酬の有無が分からない青が表示された時が、最も強かったと。
で、さらに面白いのは、猿が条件を学習していくと、緑の光が表示されたときは、光が表示された瞬間だけドーパミン・ニューロンが活性化(=快感が発生)し、報酬自体では快感回路は活性化しなくなる。一方で、青の光が表示されたときは、光が表示された瞬間から、報酬の有無が確定するまで、常にドーパミン・ニューロンが活性化し続けたのだ。これは、上記の「脳が不確実性に快感を感じる」ということの証左で、確実に手に入る報酬にも勿論快感は発生するが、報酬が手に入るか分からない状態そのものにも快感を感じるということだ。これを分かりやすく表した図があったので、下記記事から拝借する(ソシャゲのガチャについて、同じく『快感回路』を用いて説明している)。
言い換えると、博打で勝つという結果だけではなく、俗にいう「ヒリヒリする」状態に強く快感を感じる、というわけだ。余談かつソースは見つけられなかったけど、記事の中に「人間は狩りと言う30%程度の成功率しかない、不確実な行為を行うことで生存してきたので、不確実性に快感を覚えるようになった」という記載があって、ロマンティックな推察だなと感じた。
3.麻雀というゲームの本質
上記を踏まえると、「なんで皆、そんなに賭け麻雀が好きなんだ?」という問いに、ひとつの結論を出せそうだ。
麻雀というゲームは、そもそも不確実性の塊だ(ルールを知らない方は、ぜひこの機にぐぐってみてほしい)。よく比較される将棋であれば、盤面にすべての情報が表示されているし、自分の持ち駒、相手の持ち駒は把握した状態で手を進めていく。存在する不確実性は相手がどんな手を打ってくるか?の一点のみだろう。
対して麻雀は、相手が何を持っているか分からないし、自分が何を引いてくるかも分からない。毎順、山から牌を積もってくるわけだが、言い換えるとこれは毎順抽選を受けているのと同じで、多ければ一局で18回不確実な未来に対してヒリヒリできるのだ。
この18回というのは自分のツモに限った話で、相手からリーチが入れば、自分が捨てる牌であがられてしまうのではないか?という異なる不確実性が生じる。更には、リーチして上がれば、今度は裏ドラという不確実な抽選も発生するのだ。これはもう不確実性の宝庫といっても過言ではない。
つまり、賭け麻雀には、勝負の結果によって得られるお金という報酬(猿でいうシロップ)が存在し、勝負の最中は常に不確実性によって脳に快感が生じているのである(猿でいう青い光が表示された状態)。
黒川検事長も、それは点ピンで麻雀を打ってしまうわけである。
点ピン麻雀は合法か?については別記事を書いたのでそちらをご覧いただきたい。
4.おわりに
ほこりを被って埋もれていた文庫を読むことで、一つの疑問にひとまずの仮説を立てることができた。月並みだけど、積読って大事なことだ。
快感とはうまく付き合わないと、一瞬で依存症に陥ってしまう。
自分の身を守るためにも、脳や快感の仕組みについて知っておくことは損じゃない。
今度は、これまた本棚でほこりを被っている『意識は傍観者である』(ハヤカワ文庫)を読んでみようと思う。
#書評